ハンドル: ねこきき
生年月日 年齢: 1982年3月12日
職業: 大阪電気通信大学
 総合情報学部 情報工学科4年(編入)
2007年4月より某ゲームメーカーにて勤務予定


ゲームプログラマーまでの道のり 自分をさらけだした記念
就職活動の詳細 就職活動のまとめ

ゲームプログラマーまでの道のり
1997.04
(高専1年)
(高校1年)
 国立明石工業高等専門学校 機械工学科 入学
 第一志望の「情報工学科」に落ち、「機械工学科」で入学。
 当初はパンフレットのQ&Aコーナーにあった「これからは情報化社会なので機械科でもコンピュータは学びます!」という言葉を純粋に信じていた。

 自宅にも初めてのパソコンがやってきて、初めて本格的にパソコンに触れる。
1997.04
(高専1年)
(高校1年)
 いわゆるコンピュータ部「情報工学研究部」に入部。
 情報工学研究部にて開催されるプログラミング講座で初めてC言語に出会う。
最初の頃から、ゲーム指向が強く、ジャンケンゲームなどを勝手に作成していた。
個人的なプログラムとして、本をなぞってVisualBasicを用いた「猫ちゃん危機一髪!」という某有名玩具のパクリゲームを製作した。
1998.04
(高専2年)
(高校2年)
 機械工学科ではあまりにコンピュータを触らない事に愕然とする。
 情報工学科への学科変更を希望するも、前例のない事態に対応できない学校に阻まれ不可能。
 高専を中退して、ゲーム系の専門学校への入学も考えるが、「それでもゲーム業界へ就職したいあなたへ…」の管理人「紫月美夜さん」に相談に乗っていただいたり、学校の先生と相談するうちに、敢えて機械工学科で行くと決心する。

 「大規模開発にはCよりC++だ!」という主張を真に受けてC++を学ぼうとする。
「はじめてのVisualC++」 (当時はVC++5.0) という本でC++とVisualC++の使い方、MFCの使い方を学ぶ。

 初めて全国高専プログラミングコンテスト 競技部門に出場。まだまだプログラミングに関する知識は浅く、先輩達の活動を見守るぐらいしかできなかった…かも。
1999.04
(高専3年)
(高校3年)
 「はじめてのVC++5.0」 の内容をなぞって、ゲーム「ペグソリティア」を製作する。
高専祭において、ペグソリティアを出品するも、ルールがややこしい&静的パズルの為、ウケはいまいちだった。

 去年の雪辱を晴らすべく、全国高専プログラミングコンテスト 競技部門に出場。しっかりとした製作計画を立てられず、十分な製作時間の確保が出来なかったため、酷いプログラムで出場する羽目に。…もちろん初戦敗退。

 新入生に対するクラブ説明会で当時の部長のプレゼンテーション能力のなさを見かねて代わりに演説を行う。「情報工学研究部」という「暗いオタク部」のような印象をもたれそうな部にも関わらず、新入生40人弱の入部希望者(通常は5〜10人)を集める伝説の演説を行った。ポイントは「オタク部じゃない」「授業で苦労するところも情研に入っていれば平気」「俺に気軽に話するつもりでおいで」の3点。

 友達とバンドを始める。ボーカルかドラムを担当…ということでボーカル希望だったが、楽器ができない友人にボーカルを譲り、自分はドラムを担当。
2000.04
(高専4年)
(大学1年)
 「情報工学研究部部長」になる。
 部の活動を「個人制」から「班制度」にし、各班において講座を設置させるなど、積極的な改革を行う。当初は班長の負担が大きくなることから反対意見もあったが、なんとか説得して実現した。週に一回の会議はあまりに不満が多くてボツに(苦笑)

 リアルタイムのゲームを製作する為、MFCをつかったアクションゲームを作ろうとする。
 シューティングゲームを製作しようとするが、マップのスクロールや敵の出現マップの実現方法が分からず断念。
「ランダムに動き回るUFOをクリックすると爆発するだけ」という凄まじいゲームができあがる。

 ポインタに関する名著 「秘伝C言語問答 ポインタ編」 に出会い、ポインタに対する理解を深める。

 全国高専プログラミングコンテスト 競技部門に出場。「倉庫番タイプの問題をコンピュータに解かせる早さを競う」課題に対し、遺伝的アルゴリズムを用いたプログラムで準決勝まで圧倒的な強さで勝ち進む。しかし痛恨の入力ミスで敗退。
2001.04
(高専5年)
(大学2年)
 「ゲーム業界=給料が安い→生活が不安定」→「大手=給料が高いだろう」→「大手だけを受けて落ちたら大学編入だ」という超安直な考えからSCEIを志望する。一社だけ受けて落ちたら進学することに。
 SCEIへの提出作品「ぐるぐる大回転」を製作。睡眠時間1〜2時間+栄養ドリンク飲みまくり という必死さで作品を仕上げるも、その出来は酷く、期限ギリギリまで製作に取り組むあまり、エントリーシートが訂正印だらけの酷いものだった…。
もちろん合格などもらえるはずもなく、作品審査で敗退。

 当初の予定通り(?)大学編入後の就職を目指し、編入試験の勉強を開始する。
 大阪大学と神戸大学を受験するも、受験に気持ちを切り替えられず失敗。
明石高専の専攻科へ進学することに。

 出場枠が3名ということで、後輩にプログラミングコンテストは任せる。その結果、なんと全国準優勝の素晴らしい成績に!

2002.04
(専攻科1年)
(大学3年)
 大学受験失敗のトラウマに悩まされる。
 自分の夢であるゲームプログラマーと現在の専攻テーマ(画像処理・機械制御)のズレに悩まされる。

 ゲーム業界における「コスト問題」に関心を持ち、その解決策として「デザインパターン」を知る。
デザインパターンにおける赤本 「オブジェクト指向における再利用のためのデザインパターン」 によりデザインパターンを必死で学ぶ。
 その後、デザインパターンを就職活動用作品「ぐるぐる大回転」に適用しようと考える。
2002.11
(専攻科1年)
(大学3年)
 デザインパターンを活用した落ち物パズル「ぐるぐる大回転DX」の開発に取り組む。
 一番ゲームに適用しやすそうな「Strategyパターン」を敵キャラクターの思考アルゴリズムに適用することを目標に製作。
 以前のデータをHDDクラッシュにより紛失していたため、一から作り直すことになったが2ヶ月で製作。(それでも遅いケド…)
2003.01
(専攻科2年)
(大学4年)
 自分の今後の活動を考え、自分の現在の実力をさらけ出してアドバイスをいただくことにする。
 どのような判定が下るのか不安で、文字通り「泣きながら」書き込みをクリックした事を今でも鮮明に思い出す。
 詳しくはこちら
2003.04
(専攻科2年)
(大学4年)
 自分の実力と業界に要求されるであろうレベルの差、現在の学校で学んでいる内容との差に悩む。
 悩みに悩んだ挙句、学校を休んでまでプログラミングの学習に必死に取り組む。しかし長続きせず1ヶ月ぐらいで一気にペースダウン…。結果無駄に学校を休んだだけに…。

 高専生活最後の高専祭ということで「ぐるぐる大回転DX」をよりキャッチーに改良。グラフィックに「ラグナロクオンライン」のポリンを活用したゲームに。また説明書やポップなどにもキャラクターをふんだんに使い飾り立てた。
 そこで「小さな子供が、次の人が待っているにも関わらず、ずっと交代せずにプレイし続けてくれる」「これおもしろい!と言ってくれる」「お母さんが帰ると言っているのに「もうちょっと」と遊び続けてくれる」など、今後の原動力となる体験をする。

 単なる3Dプログラマーではやっていけないと考え「数学に強い3Dプログラマー」を目指して 「ゲームプログラミングのための3Dグラフィックス数学」 を猛勉強する。
2003.09
(専攻科2年)
(大学4年)
 デジタルトキワ荘をご覧頂き、商用ゲーム「ライアットガンナーズ」の開発に加わらないかとの依頼を直接メールでいただく。
 卒業を控え、学校が非常に忙しい時期だったが、「このような経験は今しかできないだろう」との判断から快諾させていただく。
 「ライアットガンナーズ」において「日本語入力部分」「MP3再生部分」「ログファイル消去プログラム」「ニュース内容製作」などに携わる。
2004.04
(専攻科3年)
(大学院1年)
 2年で終了すべき課程の3年目に突入。
 さらに夢と現実のギャップに悩む。
 そんな中、「大学3年次編入」という道を見出す。そこで教職免許を取得しながら、情報工学を専攻する道を選ぶ。
 一から独学で情報工学を勉強し、姫路工業大学(現 兵庫県立大学)には落とされるものの、大阪電気通信大学に合格。
 3月まで在籍するものの、卒業には至らず専攻科を中退。
2005.04
(大学3年)
(大学院2年)
 大阪電気通信大学の情報工学科の3年次に編入。
 教職のための授業、編入のための単位取得に追われる日々を送る。(普通の人は隔週の実験レポートが毎週あった…)

 「Effective C++」 による、さらなるC++の技術向上を図る。
 「DirectX ゲームグラフィックスプログラミング Ver.2.0」 を一週間で読破するなど、気合を入れて3Dプログラミング技術の習得に力を入れる。
2006.04
(大学4年)
(大学院3年)
 さらに「ぐるぐる大回転DX」を改良。
 操作性の改善や見栄えの改善などを行い就職活動に備える。

 無事、希望の会社から内定をいただく。
 教職の取得、TOEICの再取得、英検の取得、さらなる技術の向上、学生時代にしかできない体験をする などを目標に活動予定。